
ここ数年、ファッション、音楽、キャラクター、さらには言葉遣いに至るまで、「平成」をキーワードにしたブームが再燃している。90年代後半から2000年代にかけて流行したスタイルやカルチャーが、再び若者を中心に注目を集めているのだ。SNSでは「平成っぽい」「平成感ある」といった表現が日常的に使われ、平成をリアルタイムで知らない世代までもが、その空気感に惹かれている。
この平成ブームは、単なる懐古趣味ではない。そこには、現代ならではの背景と、時代の変化に対する無意識の反応が見えてくる。
ファッションとビジュアルに見る平成回帰
平成ブームを語る上で欠かせないのが、ファッションの変化だ。ルーズソックス、ローライズデニム、厚底スニーカー、小さめのショルダーバッグなど、かつて「古い」とされていたアイテムが、いまや最先端として再評価されている。
特徴的なのは、当時を知る世代が「懐かしい」と感じる一方で、Z世代にとっては「新鮮」に映っている点だ。デジタル加工が少なく、少し粗さの残る写真やプリクラの画質も、完璧さに疲れた現代の感覚には心地よく映る。
音楽・エンタメの再発見
音楽の分野でも平成ブームは顕著だ。90年代〜2000年代のJ-POPが、動画投稿サイトやSNSで再び注目を集めている。歌詞がストレートで感情表現が強い楽曲は、効率や合理性が重視される現代において、むしろ新鮮に響く。
また、当時のバラエティ番組やドラマの切り抜きが拡散されることで、「こんな時代があったんだ」と新たな視点で楽しまれている点も特徴的だ。
なぜ“平成”なのか
昭和ではなく、令和でもなく、なぜ今「平成」なのか。その理由の一つとして挙げられるのが、平成という時代が持つ“ちょうどよさ”だ。
インターネットは普及し始めていたが、常時接続ではなかった。情報は今ほど過剰ではなく、失敗や未完成さが許される空気があった。便利すぎず、不便すぎない。その中間地点としての平成は、現代の若者にとって理想化されやすい時代なのかもしれない。
コンプライアンス前夜の自由さ
現在は、発言や表現に対する意識が非常に高まっている。良くも悪くも「正しさ」が求められる時代だ。その一方で、平成初期〜中期は、今よりも表現の幅が広く、自由で無茶なことも許容されていた。
平成ブームの裏側には、そうした“息苦しさ”への反動も見え隠れする。過去を美化しすぎるのは危険だが、「今より少し緩かった時代」として憧れが生まれるのは自然な流れだろう。
平成ブームは一過性なのか
このブームが一時的な流行で終わるのか、それとも定着するのかはまだ分からない。ただ、単なる懐かしさだけでなく、「現代への違和感」や「別の価値観への興味」が根底にある以上、平成カルチャーは形を変えながら残り続ける可能性が高い。
平成はすでに“歴史”になりつつあるが、同時に“再解釈される文化”でもある。
平成ブームは、過去に戻りたいという願望ではなく、「今をどう生きるか」を考えるための鏡なのかもしれない。令和という時代の中で、人々が平成に目を向ける理由は、これからも少しずつ形を変えながら浮かび上がっていくだろう。


