「『もはや本人たちも可哀想』の声も…NHKはaespa紅白出場に変更なし明言、キノコ雲ランプ騒動でファン・著名人の異議広がる」

「もはや本人たちも可哀想」

「もはや本人たちも可哀想」――NHKが2025年紅白歌合戦へのaespa出場について「変更なし」と明言したことで、議論は新たな局面を迎えている。これまで一部で浮上していた出演見直しの可能性を否定する公式見解が示された一方で、ファンの間からは意外にも「今回は辞退したほうがいいのではないか」という声が広がり始めている。

発端となったのは、aespaを巡るいわゆる「キノコ雲ランプ騒動」だ。問題視されたビジュアル表現が、原爆を想起させるのではないかという指摘がSNS上で拡散され、日本国内でも批判の声が強まった。意図的なものではないとする見方がある一方で、歴史的背景を踏まえた配慮に欠けていたのではないかという意見も根強く、論争は収束しきらないまま年末に向かっている。

こうした状況の中で、NHKはaespaの紅白出場について「変更はない」と明言した。国民的番組である紅白歌合戦は、音楽イベントであると同時に社会的影響力も大きく、出演者選考は常に高い注目を集める。そのため今回の判断は、「表現の自由を尊重したもの」「問題の性質を軽視しているのではないか」といった、真逆の評価を同時に生む結果となった。

注目すべきは、aespaを応援してきたファンの一部からも、出場辞退を望む声が出始めている点だ。SNSでは「これ以上叩かれる状況に置かれるのは見ていられない」「紅白という場が、彼女たちにとってプラスになるとは思えない」といった意見が散見される。批判の矢面に立つことで、パフォーマンスそのものが正当に評価されなくなることを懸念する声も多い。

また、この問題はファン層にとどまらず、著名人の間にも波及している。一部の文化人や表現者からは、「公共放送としての姿勢が問われる」「紅白という場で扱うべきテーマなのか」といった異議が表明され、議論は音楽番組の枠を超え、メディアの責任論へと広がりつつある。

一方で、aespa本人たちが今回の騒動をどこまで把握し、どのような立場に置かれているのかは見えにくい。海外アーティストである彼女たちが、日本特有の歴史的文脈を十分に理解した上で活動していたのかという点については、冷静な視点も必要だろう。「もはや本人たちも可哀想」という言葉が象徴するように、問題の矛先がアーティスト個人に集中してしまっている現状に、違和感を覚える人も少なくない。

紅白歌合戦は本来、年末を彩る祝祭的な音楽番組であり、出演者が純粋にパフォーマンスで評価される場であるはずだ。しかし今回のaespaを巡る一連の流れは、その理想と現実のギャップを浮き彫りにしている。NHKが「変更なし」という判断を下した以上、番組としてどのような説明や配慮を示すのかが、今後さらに問われることになるだろう。

aespaの紅白出場が、理解と対話のきっかけとなるのか、それとも新たな分断を生むのか。年末の放送に向けて、議論はなお続きそうだ。

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